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引導文とは、死者を極楽世界に導(みちび)き
次なる輪廻(りんね)に迷いなく旅立たせる ためのものです。
死後の世界を信ずるのも、信じないのも、個人の自由ですが、
冷徹(れいてつ)で厳正(げんせい)な死後の世界を自分一人でのりきれますか。
 

一切の業障(ごうしょう)の海は皆(みな) 妄想(もうぞう)より生ず。もし懴悔(ざんげ)せんと欲(ほっ)せば端坐(たんざ)して実相(じっそう)を思え。

もろもろの罪は霜露(しもつゆ)のごとく、仏の智慧の日はよく消し除(のぞ)かん。

 今や仏祖(ぶっそ)の教によりて成仏の要点を示さん。霊魂、慎(つつし)んで諦(あきらか)にこれを聞き、よくこれを思い念ぜよ。

今茲(ここ)に○年○月○日、齢(よわい)○○才をもって人界(にんがい)の旧里(きゅうり)を去って寂光(じゃっこう)の本土に趣(おもむ)く一霊魂あり。
その俗名○○○○氏(女)を改めて法の諱(いみな)を授与(じゅよ)して

「 法 号(ほうごう) 」と号(ごう)す。

 倩(つらつら)世間を観(み)るに、朝(あした)に紅顔(こうがん)あって世路(せろ)に誇(ほこ)ると雖(いえど)も、夕(ゆうべ)には白骨となって朽(く)ち終んぬ。されど無常(むじょう)なるは世のならい。

 去(さ)る〇月〇日、風にわかに暴(あば)れ、雨激(はげ)しく大地を叩(たた)き、たちまち華(はな)散り、葉(は)落ちて枝折(えだお)れ、幹(みき)倒(たお)る。草葉に宿る一滴(いってき)の白露(しらつゆ)散って跡(あと)もなく、雲間に浮かぶ一輪(いちりん)の名月さって影(かげ)もなし。

 悲しい哉(かな)、今や呼べども答えず、招(まね)けども来(きた)らず、身を揺(ゆ)すれども応(おう)ずる事なし。生ある者は必ず滅(めっ)し、愛する者との別れが苦なるは仏の教えなり。

それ以(おもん)みれば、煩悩(ぼんのう)の眼(まなこ)を以(も)って生死を見る。真(まこと)の己(おのれ)を知らずして生涯(しょうがい)を送り、濫(みだ)りに生死を思い煩(わずら)って、苦悩(くのう)止(や)む事なし。

 また生死の流転(るてん)窮(きわま)りなく、死は次なる生への旅立ちなり。迷(まよ)いに即(そく)して悟りを談(だん)ずれば、海に波は起(た)ち滅(めっ)すと雖(いえど)も海の水は変らず。 人は生れ死すと雖(いえど)も久遠(くおん)の命なり。

 故(かるがゆえ)に寿量品(じゅりょうほん)には「我(わ)れ成仏してより已来(このかた)無量無辺(むへん)、百千万億(ひゃくせんまんのく)、那由陀劫(なゆたこう)なり」と。高祖(こうそ)日蓮大聖人(だいしょうにん)観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)に「今、本時(ほんじ)の娑婆(しゃば)世界は、三災(さんさい)を離(はな)れ四劫(しこう)を出(いで)たる常住(じょうじゅう)の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化(しょけ)以って同体なり」と示(しめ)し給(たも)う。

 これすなわち釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)は久遠(くおん)の昔より成仏し、凡夫(ぼんぷ)たる我等(われら)もまた永遠の命なることを顕(あらわ)す。生まるゝ時は妙(たえ)なる存在を顕(あらわ)し、死する時は妙(たえ)なる本土に帰る。生と死の本体は一つにして、不二なり。

 今ここに本仏(ほんぶつ)の眼(まなこ)より観(み)れば、娑婆(しゃば)世界を離れて寂光土(じゃっこうど)ある事なく、煩悩の身を離れて仏身(ぶっしん)あることなし。また、たとえ智慧(ちえ)修行(しゅぎょう)なくとも、信じ唱(との)うる所は本門寿量(ほんもんじゅりょう)の題目(だいもく)なれば、一歩(いっぽ)も歩かずして寂光(じゃっこう)の本土に往(ゆ)くこと疑(うたが)いなし。即身成仏(そくしんじょうぶつ)とはこれなり。

 また法華経に曰(いわ)く、「願(ねが)わくば此(こ)の功徳(くどく)をもって、普(あまね)く一切に及(およ)ぼし、我等(われら)と衆生(しゅじょう)と皆(みな)共(とも)に仏道を成(じょう)ぜん」と。爾前(にぜん)迹門(しゃくもん)において猶(なお)生死離(はな)れ難(がた)し。
本門(ほんもん)寿量品に来(きた)って必ず生死を離る可(べ)しと。我が滅度(めつど)の後(のち)に於(お)いてこの経を受持(じゅじ)すべし、この人、仏道において決定(けつじょう)して疑(うたが)い有(あ)ること無(な)けんの金言(きんげん)頼(たの)みあり。

納種在識永劫不失(なっしゅざいしきようごうふしゅつ)本門寿量品の肝心(かんじん)、名体宗用経(みょうたいしゅうゆうきょう)の南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。


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